フットボールリーグカップ

フットボールリーグカップ

フットボールリーグカップは1961年に始まった。マンチェスター・ユナイテッドは、1992年、2006年、2009年、2010年、2017年に優勝を飾っている。

ユナイテッドは恐らくフットボールリーグカップでの初戦を忘れたいと思っているだろう。1960年11月2日、ユナイテッドは2回戦でサード・ディビジョンのブラッドフォード・シティに2-1で敗北。クラブは1983年までファイナルへの初登場を待たねばならなかった。対戦相手はリヴァプール。当時わずか17歳のノーマン・ホワイトサイドがユナイテッドに先制点をもたらしたが、リヴァプールが延長の末、勝利した。

クラブの大会黄金期は、ユナイテッドが4年間で3回も決勝に達した90年代前半である。1991年の決勝では、ロン・アトキンソンのシェフィールド・ウェンズデーに敗北したが、若手で構成されていたユナイテッドは、ハイバリーで当時のリーグチャンピオンであるアーセナルを6-2で打破した。

翌シーズン、ユナイテッドは再び決勝に到達し、この時は勝利を収めた。サー・アレックス・ファーガソンのチームは、ブライアン・マクレアーのゴールでノッティンガム・フォレストを1-0で撃破。1994年にもユナイテッドは再び決勝に到達し、1-3で敗北する一方でリーグとFAカップではその後勝ち続けたが、最終的に全大会で敗北し「トレブル」を逃した。その3月の当日の相手は、前ユナイテッドの監督ロン・アトキンソン率いるアストン・ヴィラだった。アトキンソン側がファイナルでユナイテッドを打ち負かす2度目となった。

近年、プレミアリーグのクラブが参加せず、3回戦で不戦勝があった。しかしながら、ヨーロッパ戦への参加が増えるに従って、マンチェスター・ユナイテッドとその他強豪クラブは弱くなったチームをうまくさばいている。

勝利を収めた2005/06シーズンの早期ラウンドでバーネット、ウエスト・ブロム、およびバーミンガム戦では、ユナイテッドは若い選手とベテランの選手を混合させたのは見応え十分だった。サー・アレックス・ファーガソンは対ブラックバーン・対ウィガン戦2つのセミファイナルでより多くの1軍レギュラー選手を強化していた。ウェイン・ルーニー(2)、ルイス・サア、およびクリスチアーノ・ロナウドによるゴールはユナイテッドを手ぶらでシーズンを終えるのを良しとしなかった。

2009-2010シーズン、ユナイテッドは、ノッティンガム・フォレストが達成して以来、約20年ぶりに同大会での連覇を成し遂げた。ホームでのウォルヴァーハンプトン戦を1-0で勝利して、大会のスタートを切ったユナイテッドは、バーンズリーとのアウェー戦を2-0で勝利。そして、オールド・トラッフォードで行われた試合で、トッテナムを2-0で下したユナイテッドは、準決勝でライバルのマンチェスター・シティーと対戦することになった。シティーでのホームで行われた第1戦は、1-2で敗れたユナイテッドだったが、ホームでは3-1と会心の勝利を収め、2戦合計4-3で決勝進出を果たした。アストン・ヴィラとの戦いとなった決勝、ユナイテッドは開始わずか5分でネマニャ・ヴィディッチがPKを与えてしまい、これをジェイムズ・ミルナーに決められて、相手に先制を許してしまう。しかし、マイケル・オーウェンが同点ゴールを決めると、迎えた後半、途中出場のルーニーが決勝ゴールを決めて、カーリングカップのトロフィーを更に1年間保持することになった。

それから7年後、大会名はEFLカップに変わったものの、ジョゼ・モウリーニョ監督体制となって初のタイトルがリーグカップだった。ノーサンプトン・タウン(アウェイで3-1)、マンチェスター・シティー(ホームで1-0)、ウェストハム(ホームで4-1)、ハル・シティー(ホームで2-0、アウェイで1-2)に勝利して決勝に勝ち進むと、2017年2月26日の決勝では、前半にズラタン・イブラヒモヴィッチとジェシー・リンガードのゴールで2点をリードしたものの、マノーロ・ガッビアディーニに2点を返され同点に追いつかれた。延長戦の可能性もあった中、ユナイテッドは終盤アンデル・エレーラからのクロスをイブラヒモヴィッチがヘディングシュートで押し込み勝ち越し、モウリーニョ監督体制となって1年目にしてタイトルを獲得している。