ヨーロッパカップウィナーズカップ

ヨーロッパカップウィナーズカップ

サー・アレックス・ファーガソンは1990-91シーズンにマンチェスター・ユナイテッドをヨーロッパカップウィナーズカップ優勝に導いた。同カップがUEFAによって発足されてら、30年後のことだった。サー・アレックスにとっては2回目の優勝で、1983年、アバディーンの監督時代にレアル・マドリードを2-1で下して優勝したのだ。

1963年、国内のFAカップ優勝というエントリー基準を満たし、ユナイテッドは1963-64シーズンの大会で初出場を飾った。サー・マット・バズビーのチームはヴィレムllを2試合合計7-2で下し、続くトッテナムとの対戦でも2試合合計4-3で勝利した。だが、スポルティング・リスボンに2試合合計6-4で敗れた。

その後は1977年までFAカップ優勝から遠ざかったため、カップウィナーズカップ出場機会も得られなかった。。デーヴ・セクストンが監督を務めた当時のユナイテッドは、サンテティエンヌとの第2戦に2-0で勝利したのだが、フランスでの第1戦(1-1のドロー)で観客同士によるトラブルが発生したため、UEFAはマンチェスターから200km離れた場所で第2戦を行なうようユナイテッドに命じた。

次のラウンドでは、FCポルトと対戦。敵地で0-4と完敗を喫したものの、ホームでは5-2で快勝。しかし、2試合合計6-5で敗れた。

ロン・アトキンソンはユナイテッド監督としてFAカップで2回優勝したが、カップウィナーズカップを獲得したのは1回だけだった。1985年にヘイゼル・スタジアムで発生した悲劇により、イングランドのクラブに出場停止処分が科されたからだった。

1983-84シーズンはローラーコースターのようなシーズンとなり、デュクラ・プラハをアウェイゴール差により下すと、2回戦ではスパルタク・ヴァルナに2試合合計4-1で勝利。準々決勝で対戦したバルセロナ戦はスリリングな攻防に発展し、敵地での第1戦は2-0で敗れたのだが、ホームに戻っての第2戦はブライアン・ロブソンが2ゴール、フランク・ステイプルトンもゴールを決めて3-0で勝利し、逆転勝ちを収めた。しかし、ユヴェントスとの準決勝ではロブソンが負傷欠場した影響もあり、ホームで1-1のドローに終わり、敵地では2-1で敗れ、敗退した。

出場停止処分が明けた1990年、サー・アレックス・ファーガソン率いるユナイテッドは、1回戦でペーチを2試合合計3-0で下すと、次ラウンドではウェールズカップ覇者レクサムと激突したが、無失点に抑えてホームで3-0、敵地で2-0で勝利。モンペリエとの準々決勝では同年の大会で初めて失点したが、それでも2試合合計3-1で勝利し、準決勝ではレギア・ワルシャワを2試合合計4-2で下した。

1991年にロッテルダムで開催された決勝でヒーローになったのは、マーク・ヒューズだった。古巣でもあるバルセロナとの対戦で、ヒューズは68分と75分にゴールをマーク。バルセロナはロナルド・クーマンが1点を返したものの、ユナイテッドが4回目の挑戦でカップ・ウィナーズ・カップを制した。その後ユナイテッドは1994年、96年、99年にFAカップで優勝したが、国内リーグ優勝により同大会ではなく、チャンピオンズリーグに出場した。そして、1999年にUEFAはカップ・ウィナーズ・カップの終了を決定した。