1973年、スコットランド出身のマカリは、当時のリヴァプール監督だったビル・シャンクリーから誘われ、バーンリーとのFAカップ戦に招かれた。同試合を偶然マカリの近くの席で観戦していたのは当時のユナイテッドアシスタントマネージャーのパット・クレランドで、リヴァプールがマカリの獲得に関心を持っていると知ると、ユナイテッドの話を聞いてみるように説得した。
それからわずか5日後、マカリは移籍金20万ポンドでオールド・トラッフォードに移籍。シャクリーは激怒し、仮にアンフィールドに移籍していたとしても、交代出場としてしか使う気がなかったと言い放ったのだ!
セルティックでの活躍で注目を集めたマカリは、同クラブで2度のリーグ優勝、2度のスコティッシュカップ優勝、3度リーグカップ決勝でプレーし、チームに貢献した。
移籍金の額に驚かされたファンも多かったが、オールド・トラッフォードで行なわれたウェストハム戦でデビューすると、いきなりゴールを決め、2-2のドローに終わった試合でファンの心を掴んだ。
マカリは、ユナイテッドのセカンドディビジョン優勝に貢献(同年はクラブ2位の11ゴールを記録)したほか、1977年にはFAカップ優勝にも尽力。1976年と79年はFAカップ準優勝に終わった。決して突出したストライカーではなかったマカリを1970年代後半に中盤にコンバートしたのは、当時の監督トミー・ドハーティーだった。
中盤への転向によりマカリのプレーはレベルアップしたのだが、1982年にロン・アトキンソンがドハーティーの後任に就任後、マカリはそれからの2シーズンの大半をベンチで過ごし、1984年に退団。そして、指導者に転身した。
最初はスウィンドン・タウンで選手兼監督を務め、その後ウェストハム・ユナイテッド、バーミンガム・シティー(2回監督に就任)、セルティックで指揮を執り、アイルランド共和国代表のスカウトとしても活動。現在はMUTVのレギュラー解説者として活動している。