サミー
マッキロイ
- 出場回数419
- 総ゴール71
デビュー戦がマンチェスターダービーになるほど怖気づいてしまうこともない。だが、17歳のサミー・マッキロイは洗礼となったメイン・ロードでの試合で1ゴール、2アシストを記録し、ユナイテッドに忠誠を誓うファンから愛おしい存在になった。
北アイルランド出身のウィンガーは、マット・バズビーが最後に契約した選手で、1969年8月にアマチュア契約を結ぶと、その2年後プロ契約を手にし、1971年11月6日のダービーで華麗なるデビューを飾った。 デビュー戦で結果を残したとはいえ、即レギュラーになったわけではなかった。マッキロイは、デビューシーズンも、その翌年もベンチからの交代出場が主な役割だった。 1973年の1月に交通事故により重傷を負ったマッキロイだったが、懸命な努力により復帰し、その翌シーズンには先発の座を掴んだ。 同年は降格という憂き目を体験するも、マッキロイは不動の先発として活躍。ユナイテッドは、1年後に1部返り咲きを果たした。クラブでの役割と同様、マッキロイは北アイルランド代表でも重要な選手として活躍し、代表では通算88試合に出場した。 1970年代後半、ウェンブリーで開催されるカップ戦の決勝に4年で3回進出したユナイテッドの中心選手だったマッキロイだが、1976年と79年にはそれぞれサウサンプトンとアーセナルの前に涙を呑む結果を経験。アーセナル戦では同点ゴールを決めただけに、残念な結果となった。そんなマッキロイは、決勝で2度敗れた76年と79年の間にあたる1977年のFAカップ決勝でリヴァプールに2-1で勝利し、ユナイテッドでの11年間で唯一のメジャータイトルを獲得した。 1982年、当時の監督だったロン・アトキンソンが35万ポンドでマッキロイをストーク・シティーに放出すると、3年後にはフリートランスファーでマンチェスター・シティーに移籍。引退後、指導者に転身した。 ノースウィッチ・ヴィクトリア、アッシュトン・ユナイテッド、マクルズフィールド・タウンの監督を経て、北アイルランド代表監督にも就任。その後ストックポート・カウンティで指揮を執った後、2005-06シーズンにはモアカムの暫定監督を引き受け、後に正式な監督に就任した。
Forward
北アイルランド
1954年8月2日
1969年8月1日
1971年11月6日
マンチェスター・シティー(A)リーグ
1982年2月2日
このエネルギッシュなウインガーが新契約を結んでからもうすぐ1年になるが、テン・ハフ監督はガルナチョにモチベーションを高めるような話をした。
コビーはブラジル、ベルギーとの親善試合に臨むガレス・サウスゲイト監督のイングランド代表のシニアメンバーに選出された。