マドリッドの歓喜から50年
5月15日は、マンチェスター・ユナテッドにとって偉大な記念日だ。 50年前のこの日、マット・バスビーの選手たちは、ヨーロピアン・カップ6冠の強豪レアル・マドリーを準決勝第2戦で破り、クラブ初の決勝進出を決めた。
ハーフタイムの時点ではレッズは3-1とリードを許していたが、後半、デイヴィッド・サドラーとビル・フォルケスの得点で3-3のドローに追いつくと、サンチアゴ・ベルナベウを埋めた12万の観衆からため息がもれた。
試合終了の笛が鳴ったあと、バスビーは言った。
「ユナイテッドにとってもっとも記念すべき夜だ」
ロッカールームで監督は、人目もはばからず泣きじゃくり、選手ひとりひとりとハグを交わしていたとパディ・クレランドは述懐している。
ミュンヘンの飛行機事故からちょうど10年後、ユナイテッドはあらゆる苦難を乗り越え、欧州のフットボール界最高峰の舞台へと到達したのだ。
オールド・トラッフォードでの第1戦は、ジョージ・ベストの唯一の得点でユナイテッドが辛勝したが、このとき世間には、ユナイテッドのチャンスはほぼ消滅したという空気が漂った。タイムズ紙のジェフリー・グリーン記者は『マンチェスター・ユナイテッドにとっては骨折り損になるだろう』と書いている。
スペインでの第2戦の前も、楽観的な空気はなかった。そしてそれはすぐに現実のものとなる。
「マドリーは我々を前半戦で打ちのめした」とクレランドは振り返る。
「彼らのボール回しはあまりに素早く、我々はまったく近寄ることすらできなかった」
ピッリのヘディングシュートでレアルが先制し、すぐに総計で同点に並ばれた。続いてヘントのシュートが決まってロス・ブランコスがリード。イグナシオ・ゾコのオウンゴールのおかげでユナイテッドはすぐさま同点に並び返したが、クリエイティブなゲームメーカー、アマンシオがさらに得点を追加し、ハーフタイムの時点でレアルは3-1とアドバンテージを奪った。
「ハーフタイムにロッカールームに向かうときの気分は最悪だった。選手たちもすっかりうなだれていた」とバスビーは認めている。
「まだ総計では1点差にすぎない。挑もうという気持ちがなければ勝つことなどできない。それに、どうせ負けるなら何点差だって変わりはない。もはや敗戦を恐れる必要はないのだから、とにかくぶつかっていこう」
指揮官のその励ましにレッズは奮起した。試合終了15分前にデイヴィッド・サドラーの得点で総計3-3に持ち込むと、ミュンヘン事故の生還者であるビル・フォルケスが、キャリアを通して(688試合に出場)9点しか決めていないうちの1点をこの瞬間に決め、総計を4-3とした。
「”あの馬鹿野郎はあそこで何やってるんだ?”それが私のとっさのリアクションだった」とクレランドはフォルケスの”らしくない”ゴールシーンを思い出す。「けれどビルは��かっていたんだ。今こそがその時なんだ、ってね」
「ペナルティエリアの角付近まで進入したとき、自分がボールを呼び込める位置にいることがわかった。ジョージが私を見たけれど、きっと見過ごすだろうと思った。私にシュート力がないことはみな知っていたからね」とフォルケスはその時の様子を振り返る。
「だからジョージは自分で打つだろうと思った。けれど彼は後ろに切り返して、実に素晴らしいパスを私に寄越した。それは完璧なパスだった。だからファーサイドめがけて蹴り出した。12万人の観衆からなんの反応もなかったから、最初はゴールは決まらなかったんだろうと思った。その次に私がしたことは、自分の上に折り重なっていた選手たちをひきはがすことだ。膝の具合も心配だった(この試合の4日前のリーグ戦でフォルケスは膝に打ち身を負っていた)」。
試合終了と同時に、マンチェスターから駆け付けたファンがピッチになだれ込み、ヒーローたちを取り囲んだ。彼らは強い感情に揺さぶられて涙に濡れていたボビー・チャールトンのもとへも駆け寄った。
『ヨーロッパでの成功を目指し、それを実現できる能力がこのクラブにはあると信じてひたすら地道に、そして懸命に取り組んできたマット・バスビーにとって、これはひとつの夢が実現した夜だった』とデイリー・メール紙のロナルド・クローサー記者は綴った。
これはそれまでのユナイテッド史でもっとも偉大な夜だった。そして、ミュンヘンの悲劇から10年を経て、選手と監督に与えられた最高の償いだった。
決勝戦はウェンブリースタジアムだった。ユナイテッドの前に立ちはだかる残る最後の敵はベンフィカだけ。
「空に届くまで、残るはあと一段だ」とバスビーは言った。