ベッカム

ベッカムのデビュー30年を振り返る

金曜日 23 9月 2022 15:51

デイヴィッド・ベッカムのレッズでのデビュー30周年を記念して、すべてが始まったあの夜と、そこから築かれた驚異的な功績を振り返る。

30年前、デイヴィッド・ベッカムは、リーグカップの2回戦、ブライトン&ホーブ・アルビオンの本拠地で行われた第1戦の終了18分前に、フィールドに送り出された。その時、ひょろりとした17歳の青年は、少し前にダグアウトの屋根にぶつけた頭の痛みをまだこらえていた。そして彼は、自分が投入されてからわずか30秒後に、3部リーグのシーサイダーズが得点するのを目撃することとなった。

格下相手に1-1で引き分けると、試合後、選手たちは監督から大目玉を食らった。ゴールドストーン・グラウンドに集まった16649人の観客の前で、ベッカムは短い出番ではあったが、及第点のパフォーマンスを見せた。しかしこの夜の試合は、ベッカムがその後達成することになる未来について示唆するには、あまりに誤った方向性であったように思われた。

しかし、華やかで、魅力にあふれ、栄光に満ちた彼のその後のサッカー人生において、このイングランドの南海岸での控えめなデビューは、その輝かしいキャリアを支えた気概のようなものを示す上で、むしろふさわしいものだったと言える。もし、ハードワークの素晴らしさを伝えるポスターがあるとすれば、そのモデルとなるのはデイヴィッド・ベッカム以外にない。世界中のビルボードを飾り、万国で人気を誇る元レッドは、間違いなくサッカー界で最も有名な人物だ。しかし彼がサッカーというスポーツを超越して国際的なブランドとなる前は、彼は、夢を追いかけて生きる、髪を逆立てたコックニー訛りの若者に過ぎなかった。

ベッカム、なつかしのデビュー戦 動画

ベッカム、なつかしのデビュー戦

シニアプレーヤーとしての一歩を踏み出した、1992年のブライトン戦ハイライト

ボビー・チャールトン・サッカースクールのコンテストで優勝したデイヴィッドは、オールド・トラッフォードのマスコットも務めていて、すでにユナイテッドとトッテナムの両方からオファーを受けていた。より良い条件を提示したスパーズよりレッズと契約することを選んだのは、ユナイテッドの選手になりたいとずっと願っていたからだ。しかしその野望を叶えることは、このティーンエイジャーの努力を倍加させることでもあった。「一番大事なのは、ユナイテッドに所属することではなかった」と、後に彼は語っている。「ユナイテッドに残れるよう、努力することだった」と。

1992年のFAユースカップで優勝し、13人のトッププレーヤーが誕生した栄えある「92年組」の一員として、ベッカムは比類のないサッカー教育を受けた。同世代の若い才能に囲まれ、優秀な指導者エリック・ハリソンに率いられた彼の育成期は厳しいものだったが、同時に非常に実り多いものだった。「今振り返っても、あの時の僕たちは、誰にも真似のできない傑出したサッカーをしていた」とベッカムは振り返る。「あの若さでそれを経験できたことは、決して忘れることのできないものだ」。

ハリソンが率いた精鋭集団は、お互いに刺激しあい、一人ひとりが努力を重ねて自己を高めた。そして若くてスリリングな右ウイング、キース・ギレスピーと入団を争うことになると、ベッカムは誰よりも熱心にトレーニングを重ねた。自分に付加価値をつけるためにあらゆることにトライし、そのひとつとしてセットプレーの練習を重ねたことは、最終的に彼を、歴史に残るプレ���スキックの名手にのし上げた。

1995年、プレストン・ノースエンドにレンタル移籍したベッカムは、デビュー戦でコーナーから直接ゴールを決め、サッカー界に大きな衝撃を与えた。それまでノースエンドのコーナーキックを任されていたポール・レイナーは、「デイヴィッドを出場させるために自分が外されたから、ちょっと動揺した。それでベンチでブツブツ言っていたら彼がコーナーから直接ゴールを決めたんだ。その時は、黙るしかなかったよ」。

レッズでのフルデビュー戦となったチャンピオンズリーグのガラタサライ戦でも、4-0で勝利した試合で、ベッカムは2点目を決めた。しかし彼がファーストチームでレギュラーの座を確実にしたのは1995-96シーズンだ。ベッカムは、離脱したアンドレイ・カンチェルスキスに代わって右サイドで輝きを放った。決してスピードが傑出していたわけではなかったが、彼はそれを努力と狡猾さで補い、驚異的なフィットネスレベルで卓越した働きを披露した。40試合に出場して8ゴールを挙げ、このシーズンのダブル優勝に大きく貢献したが、ベッカムの快進撃はまだ始まったばかりだった。

1996-97シーズンの開幕戦、彼はウィンブルドン戦で、自陣のハーフ内から直接ゴールを決めるという、プレミアリーグ史に残る象徴的な瞬間を演出した。「ボールを打ったあと軌道を見上げると、ゴールとコーナーフラッグの間に向かっているように見えた」とデイヴィッドは振り返っている。「でも、カーブをかけたからボールが戻ってきて、『これはチャンスだ』という思がよぎった。ゴールに向かって、ニール・サリバンの上に落ちてネットにおさまるまで、ずいぶん長い間、ボールは空を飛んでいる気がしたよ。その後、着替えをしているときにエリック・カントナが来て、握手をしてくれ、『なんてゴールなんだ』と言ったんだ。正直、そのことはゴールしたことよりも嬉しかった。サウスロンドンのあの日の午後、新しいブーツを一振りしただけで、すべてが変わった。あのボールを蹴ったとき、僕は同時に、自分の人生の扉も蹴破ったんだ」。

しかしそこで終わりではなかった。華麗なゴールの連続、ユナイテッドの国内、そしてヨーロッパでの善戦、さらにスパイスガールズのスター、ヴィクトリア・アダムスとのロマンスも重なり、ベッカムの名声は驚異的なレベルまで高まっていった。

デイヴィッド・ベッカム 全ゴール集 動画

デイヴィッド・ベッカム 全ゴール集

デビュー30周年を記念して、ベッカムのユナイテッドでの全85ゴールを一挙公開!

そのヘアスタイルやファッションでも流行の先端を行き、ベッカムはサッカーの中だけでなく外でもアイコンとなった。しかしそれが許されたのは、彼がフィールド上で高い水準を維持していたからにほかならない。ロイ・キーン、ポール・スコールズ、ライアン・ギグス、そしてニッキー・バットと共に、ベッカムはユナイテッド、そしておそらくイギリスサッカー史上最高の中盤カルテットを形成した。

アルゼンチン戦で彼が受けたレッドカードが、1998年のワールドカップでのイングランド代表の敗退の原因だとみなされると、ベッカムはマンチェスターを除く国中から非難を浴びた。そのとき彼がしたことは、より一層ハードにサッカーに取り組むことだった。その結果、9ゴール、19アシストという、彼のキャリアにおける最高のシーズンを送り、トレブル達成という大きな栄誉を手にしたのだった。

「デイヴィッドにできないことは何もない」とフィル・ネヴィルは言い、兄のギャリーも「彼は一緒にプレーするのが楽しいヤツだった」と同調した。右サイドバックだったギャリーの仕事は、ベッカムの献身的なディフェンスに大きく助けられた。そして、手に入れるメダルの数は増えても、ベッカムのプレーが衰えることはなかった。1999年のインターコンチネンタルカップでパルメイラスに勝利すると、彼は世界とヨーロッパのクラブチャンピオンとなり、1998-99シーズンから2000-01シーズンにかけてレッズが達成したプレミアリーグ3連覇の礎となった。この間、スヴェン・ゴラン・エリクソン監督の下でイングランド代表のキャプテンも務め、母国のタリスマンかつヒーローとなった。退場処分となった1998年のワールドカップから4年も経たないうちに、ベッカムのステイタスは一変。彼はイングランドの2002年大会出場の立役者となり、オールド・トラッフォードで行われたギリシャ戦では、インジュリータイムにフリーキックからゴールを奪い、見事に出場権を獲得した。

ベッカムのユナイテッドゴールTOP10 動画

ベッカムのユナイテッドゴールTOP10

どんどん凄みを増していくベッカムのユナイテッドでのゴール、珠玉の10本

2003年にユナイテッドを去る頃には、彼は国民の心をつかみ、クラブレベルでは、カントナの7番を継ぐにふさわしい選手であったことを証明していた。2002-03シーズンにはプレミアリーグのタイトルを奪還し、トップチームのレギュラーとして7シーズンで10個の栄誉を手にした。そしてその後の10年間、レアル・マドリード、LAギャラクシー、パリ・サンジェルマンでさらなる成功を収め、イングランド代表としてのキャップ数は驚異の115を記録。イングランドサッカー界の偉大な選手の一人、そしてユナイテッドの最も優れたOBの一人としてその伝説をさらに確固たるものにした。

ゴールドストーン・グラウンドのサイドラインに立っていたときのベッカムは、その後自分の前にどんな運命が待ち受けているかなど、想像もしていなかったことだろう。

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