ユナイテッド

第一次世界大戦休戦記念日に寄せて

木曜日 11 11月 2021 12:29

マンチェスター・ユナイテッドが毎年行っている、世界中の紛争で命を落とした人々への追悼イベントは、先週末のマンチェスター・シティー戦のキックオフ前に行われた1分間の拍手から始まった。

このダービーで両チームと審判団が着用したシャツには、休戦記念日のシンボルであるポピーの花の刺繍があしらわれ、この試合とプレミアリーグのトッテナム戦でユナイテッドが着用したユニフォームは、11月から12月にかけてチャリティーオークションにかけられる。

集められた資金は、100周年を迎えた英国軍のメンバーと退役軍人のための慈善団体、ロイヤル・ブリティッシュ・レジオン に寄付される。この団体の重要な活動を支援しながら、歴史の一部を共有できる、これは貴重な機会だ。ロイヤル・ブリティッシュ・レジオンは、軍人や元軍人、その家族を生涯にわたってサポートするため、一般の人々の支援を必要としている。また、軍隊のコミュニティに発信する場を与えるとともに、彼らの利益を擁護して、前向きな変化をもたらすことに努めている。寄付金がどのような効果をもたらすかなど、詳細については、www.britishlegion.org.uk。オークションに参加するには、matchwornshirt.com にアクセスしよう。

この休戦記念日に、manutd.com/remembrance では、英国内のほぼすべてのサッカークラブと同様に、ユナイテッドが世界的な紛争で失った選手たちに思いを馳せる。また、クラブに関係するすべての人の思いは、のちに国に貢献しながら命を落とした元レッズの23人にも寄せられる。ニュートン・ヒースLYRでプレーしていたギルバート・ゴッズマークは、アングロ・ボーア戦争(1899-1902年)で、15人の元選手は第一次世界大戦(1914-18年)で命を落とし、さらに7人の元レッズが第二次世界大戦(1939-45年)で尊い命を奪われた。

この23人の犠牲者の中で最も知られているのは、ユナイテッドとシティーの両方でFAカップに優勝したサンディ・ターンブルだろう。オールド・トラフォードから歩いてすぐのチェスター・ロードにあるゴーズ・ヒルの戦没者記念碑には、「Sgt A. Turnbull」と彼の名前が刻まれている。20世紀初頭のサッカーファンの間では、彼はアレクサンダー・“サンディ”・ターンブルの名で親しまれ、優れたインサイド・フォワードとして高く評価されていた。ターンブルは、1904年にシティーでFAカップに優勝し、1909年にはレッズがブリストル・シティーを破って優勝した試合でその試合唯一の決勝ゴールを決めている。また、1908年と1911年にはユナイテッドでリーグ優勝を果たした。悲しいことに、ターンブルは1917年5月3日、フランスのアラスでの戦いで戦死した。

ユナイテッド博物館の学芸員であるマーク・ワイリーは、祖国を守るために究極の犠牲を払った元選手たちの存在がさらに明らかになることを期待している。「現在リストに掲載されている23名は、マンチェスター・ユナイテッドのファーストチーム、リザーブチーム、あるいは’A’チームでプレーしたことが確認されている選手で、紛争中に死亡したことが判明している人たちです。マンチェスター・ユナイテッドの選手ではないかと思われるが、確認できていない犠牲者も4名います」。

試合のレポートには、「英雄的」や「勇敢」といった言葉がよく使われるが、ピッチ上での尽力は、国のために命を捧げた人々の真の英雄的行動とは比べ物にならない。彼らの尊い犠牲は、ポピーのバッジを身につけること、そして本日(木曜日)のイギリス時間11時(日本時間20時)に全国で行われる2分間の黙祷によって偲ばれる。

ユナイテッドのファンだった兵士たち

国のために戦った23人の選手だけでなく、何千人ものサポーターが世界中の戦場で命を落とした。昨年、マーク・ワイリーは、オールド・トラフォードでの観戦中に亡��なったファンがいたことを突き止めた。サルフォードのウェストフリート・ストリートに住んでいた元兵士のハロルド・バーリーは、1918年3月30日、戦時中に行われたストーク・シティーとの試合を観戦中に亡くなった。バーリーは、1916年のソンムの戦いで胸を撃たれた後、その弾丸を取り除くことができず、様々な病院に長期入院したのちに1917年8月31日にランカシャー・フュージリアーズの第1サルフォード大隊から除隊した。彼は20歳で亡くなり、サルフォードのウィーステ墓地に眠っている。