ユナイテッド

ジェラール・ウリエ氏が逝去

月曜日 14 12月 2020 14:37

ジェラール・ウリエ氏が逝去したという報せに、マンチェスター・ユナイテッド全関係者は心を痛めている。

月曜、ランス、パリ・サンジェルマン、フランス代表、リヴァプール、アストン・ヴィラで監督を務めたウリエ氏が、73歳でこの世を去ったと発表された。

ウリエ氏のキャリアで最も知られているのは、アンフィールドでの6シーズンだ。その間、サー・アレックス・ファーガソンとも友人関係を築いた。

訃報に際し、サー・アレックスは次の声明を発表している。

「今朝の報せには本当に驚いた。ジェラール・ウリエは、まだ73歳だった」

「ジェラールがリヴァプールの監督だった当時、彼と友情を育んだ。退団してからも友人関係は続き、素晴らしい仲間だった」

「彼は、多様なキャリアを通じてファンタスティックなフットボール見識を養った。UEFAのミーティングや、違うイベントで会うと、彼との会話を楽しんだ。良き話し相手だった彼がいなくなってしまい、非常に寂しく思う。本物の紳士だった」

「フットボール界にとっても悲しい1日だ。ご遺族の皆さんに、心よりお悔やみを申し上げる」

元リヴァプール、アストン・ヴィラ監督のジェラール・ウリエ

友人でありライバル

サー・アレックスは、自伝“Managing My Life”で、1992年にライバルチームのリーズからエリック・カントナを獲得した際、ウリエ氏の助言が大きかったことを明かしている。

「シーズン序盤にリーズと対戦し、2-0で勝った試合後、ブルースとパリスターがエリック・カントナを称えていた。その1週間前には、ジェラール・ウリエが彼の能力を高く評価していた」

「その後には、チームを分断しかねないカントナに対する評価について話を聞いた。不要な荷物をチームにもたらす危険な存在かもしれないと思っていたが、ウリエの話を聞いた限り、メディアによって作られた印象とは違うことに気づいた。それで、彼に賭けてみる準備を始めた」

2004年にリヴァプールを退団したウリエ氏は、母国フランスに戻り、リヨン、のちにフランス代表でも成功を収めた。そして2010年にアストン・ヴィラの監督に就任したものの、健康上の理由で引退を余儀なくされた。

ウリエ氏は、入院していた当時、サー・アレックスが見舞いに来たことを明かしている。

「彼がお見舞いに来てくれた。本当に温かい人物だ。サー・アレックスのほかにも、友人であるアーセン・ヴェンゲル、スヴェン・ゴラン・エリクソンも来てくれた」

「(サー・アレックスとの)ライバル関係は、フットボールにとって健全なものだった。ただ、我々2人の監督の間にライバル関係はなかった。彼が連絡をくれ、助けてくれたことも何度かあった」

「複数のクラブで素晴らしい戦績を残した指導者だ。彼は天才だと思う。トップに立つのと、トップに立ち続けるのとでは全く異なる。彼のチームを相手に良い戦績を残せた。サー・アレックスからは、『ボブ・ペイズリーよりもマンチェスター・ユナイテッドを相手に成功を収めた』と言われた」

「彼は古い友人で、イングランドに来る前も、離れた後も友人関係を続けている。UEFAではアンディ・ロクスバラがセッティングしてくれた場で会い、休暇中に会ったこともある。試合で何が起ころうとも、私たちの友情は変わらない」

ご遺族の方々に、心よりお悔やみを申し上げます。

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