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ジョゼ
モウリーニョ

  • 試合
    120
  • 勝利
    74
  • トロフィー
    3
ジョゼ モウリーニョ Quote 試合前の会見に臨む時から、私の中ではゲームはもう始まっている

バイオグラフィー

マンチェスター・ユナイテッド新監督に就任したジョゼ・モウリーニョは、ここまで長い旅路を経てきた。

体育教師という肩書から、世界で最も認知されたフットボール指導者に上り詰めたモウリーニョは、4ヵ国でリーグ優勝を果たし、異なる2つのクラブでUEFAチャンピオンズリーグ優勝という偉業を果たした。輝かしいキャリアを送ってきたモウリーニョが次に取り組む仕事は、シアター・オブ・ドリームスでの監督だ。 ポルトガル代表GKを父に持つモウリーニョにとって、フットボールは血液に流れているようなものだった。しかし、彼は父親のようにプロ選手の道ではなく、アカデミックな道を選んだ。大学でスポーツ科学を学ぶと、体育教師をしながらユースチームのコーチも兼任。1992年、スポルティング・リスボンの監督だったサー・ボビー・ロブソンの通訳に就任後、両者はすぐ師弟関係を結び、ロブソンが1996年にバルセロナの監督に就任後も、関係は継続した。 ロブソンは1年後にバルセロナを退団したが、能力を評価されたモウリーニョはクラブに残り、新監督に就任したルイ・ファン・ハールからAチームとBチームの監督を命じられた。バルサレジェンドのチャビは、当時モウリーニョの指導を受け、その才能を見出された。チャビは、モウリーニョについて、「バルサでの3年間、彼は素晴らしい指導者だった。誰かが彼を通訳と呼んだけれど、くだらないでたらめだ。彼はアシスタントコーチで、バルサの哲学を理解している人物だった。選手からも尊敬されていた。ディフェンシブなフットボールを好むと言われていると聞いて驚いたよ。彼は、僕らと仕事をしていたとき、まったく異なるタイプだったから」と、語っている。 フットボール界で知名度を上げていったモウリーニョは、2000年9月に母国ポルトガルのベンフィカ監督に就任。短期間で退任したものの、ウニオン・レイリアの監督就任を機に、サクセスストーリーが始まった。 その後FCポルトの監督に就任すると、タイトルを次々に獲得。その活躍に、クラブもトロフィーを陳列するスペースを作らなければいけなくなったほどだっただろう。その最たるケースは、2004年のチャンピオンズリーグ優勝だ。奇しくも、イングランドのファンにモウリーニョの存在が浸透し始めたのも同年で、ベスト16ラウンドではユナイテッドを下している。喜びのあまり、オールド・トラッフォードのタッチラインを駆け抜けた姿が印象に残っているファンも少なくないだろう。 ポルトでの成功をビッグクラブが見逃すわけはなく、2004年夏、モウリーニョはチェルシー監督に就任する。チェルシーオーナーのロマン・アブラモヴィッチは、モウリーニョが希望するすべてを叶えようとした。そして、監督就任会見での有名なフレーズ、“Special One”が世界中を駆け回った。 「お願いだから、私を高慢と呼ばないで頂きたい。私が申し上げることは真実だ。私はヨーロッパ王者だ。どこぞから出てきた指導者ではない。私が思うに、自分は特別な存在だと思う」。 歯に衣着せぬ言動で注目を集めたモウリーニョは、プレミアリーグのタイトルを2年連続してスタンフォード・ブリッジにもたらした。2007年にはFAカップ決勝でユナイテッドに勝利し、リーグカップでも2度優勝している。だが、2007年9月、オールド・トラッフォードでのユナイテッド戦を数日に控え、突如チェルシー指揮官の任を解かれた。 モウリーニョが次に向かった先は、セリエAのインテルだった。就任会見では、3週間前から勉強したというイタリア語ですべて話し、強烈な印象を植え付けると、サンシーロでもセリエA優勝2回、コッパ・イタリア、スーペルコッパ・イタリアーナ優勝を飾り、2010年には自身2度目となるチャンピオンズリーグ優勝を果たした。 当時インテルのスターストライカーとして活躍したズラタン・イブラヒモヴィッチと強い関係性が生まれたのもこの時期で、イブラヒモヴィッチは、後に自伝で、モウリーニョについて、こう綴った。 「彼がチームのリーダーだった。だが、それと同時に、彼は選手のことを気にかけてもくれる。いつだってメールをくれ、自分が問題なくやれているかを気にしてくれた。最終的に、モウリーニョとなら心中しても良いと思えるようになった」。 2010年、当時ペップ・グアルディオラが監督を務めたバルセロナに後塵を拝していたレアル・マドリーの再建を託され、同クラブの監督に就任。それまでのキャリアで最も重圧のかかる仕事、そして世界最高峰と呼ばれたチームと直接対決することになったにもかかわらず、ジョゼは冷静に対処し、再び記憶に残る名文句を残している。 「より強い重圧の下で、私はより強くなれる。ポルトガルには、『より大きな船にこそ、より強い嵐が襲いかかる』という諺がある。幸運なことに、私は常々、より大きな船に乗ってこられた。FCポルトはポルトガルでは大きな船だった、チェルシーは、イングランドで大きな船だった。インテルも、イタリアで素晴らしい船だった。そして今、私はレアル・マドリーという、地球上で最も大きな船と言われるクラブにいる」。 レアル・マドリー時代には、2010-11シーズンこそリーグ2位に終わったが、2年目の2011-12シーズンにリーガ・エスパニョーラ優勝を飾った。同年、クラブ新記録となる勝ち点100、リーグ戦で121ゴールをマーク。その内46ゴールを記録したのは、同胞のクリスチアーノ・ロナウドだった。 当時、リオネル・メッシを中心としたバルセロナが世界のフットボールの中心だったものの、モウリーニョのレアル・マドリーは、コパ・デル・レイ、スペインスーパーカップを獲得。しかし、チャンピオンズリーグでは準決勝の壁を破れず、3年の在任中ベルナベウに優勝トロフィーを持ち帰ることはできなかった。 2013年、モウリーニョは再びチェルシーの監督に就任。就任会見では自身を「Happy One(幸せな人間)」と形容し、スタンフォード・ブリッジに帰還した。就任2年目の2014-15シーズンには2位と勝ち点8差でリーグ優勝を飾ると、キャピタルワンカップでも優勝。ディフェンディング王者として臨んだ2015-16シーズンは、序盤から結果が伴わず、開幕節から16試合で僅か4勝にとどまり、2015年12月、チェルシーから解任された。 そして今、休養を経たジョゼ・モウリーニョが、マンチェスター・ユナイテッドの新監督に就任。映画のような歴史を誇るユナイテッドという舞台で、フットボール界を牽引する男がスポットライトを浴びることとなった。

省略を読む About ジョゼ モウリーニョ
  • ポジション

    マネージャー

  • ポルトガル

  • 生年月日

  • 入団

  • 初戦

    v レスター・シティー (N)

試合前の会見に臨む時から、私の中ではゲームはもう始まっている