リンデロフ

ビクトル・リンデロフ、知られざる5つのこと

木曜日 28 6月 2018 11:36

ビクトル・リンデロフは、スウェーデンのストリートでボールを蹴っていた5歳の頃、元マンチェスター・ユナイテッドの選手のジャージーを着ていた。

ワールドカップ・ロシア大会にスウェーデン代表として出場しているリンデロフは、グループF首位での母国の16強進出に貢献。スウェーデンは来週火曜日にスイスと対戦する予定だ。

彼がこの世に生を受けた瞬間、それはアメリカで開催されたワールドカップ決勝戦でPK戦が行われた瞬間だった。誰もが注目したPK戦に、彼の父も興奮していたのだ!

先日ロメル・ルカクに関する記事を公開したThe Players’ Tribuneとのインタビューを受けた際、リンデロフは、これまで知られていなかった彼に関する5つのことを明かしている。

ビクトルは幼少の頃にバルテズのユニを着ていた。2人はユナイテッドでプレー。

GKになりたかった

 「僕が5歳の頃、母が僕の想像力を掻き立ててくれた。母が買ってくれたのはGKのユニホームだった。たしか、フランスのGKのファビアン・バルテズのユニホームだったと思う。僕はバルテズのようになりたかったんだ。庭に出て、泥に突っ込んで、想像の中でスーパーセーブを決めていたさ」

「『リンデロフがスーパーセーブを決めたぁ!』という風にね」

絶妙なタイミング

 「自分が生まれた時、父は喜んでいたのだけれど、それからこう言ったらしいんだ。『もうテレビを見ても良いかな?』ってね」

「その言葉を聞いて、母は目を丸くしたみたい。でも、父の言った意味を理解していたらしくて、『本当に?』という感じだったようだよ」

「それに父は、『わかっている。でも、PKが始まりそうなんだ』と言ったらしい」

「1994年7月14日、スウェーデンではビクトル・リンデロフが誕生した。でもアメリカのパサデナでは、イタリアとブラジルによるワールドカップ決勝が行われていたからね」

劇的なワールドカップ決勝のタイミングでビクトルは誕生した!

テレビだけが友達

ベンフィカに加入するためポルトガルのリスボンに移り住んだビクトルは、辛い日々を送っていた。故郷から遠く離れた街で、言葉も話せず、彼は孤独だった。

「今でも、当時暮らしていた部屋をハッキリと覚えている。小さなテレビがあって、ベージュ色の机、赤いカーテン、バルコニーはコンクリートで、練習場が見える。それにベッドのシーツの色も赤だった。マットレスは固くて、床で寝ているようだった」

「いつもSkypeで母と話すか、テレビドラマのアントラージュしか見ていなかった。冗談ではないよ。だいたい半年くらいはリスボンでの友人もいなかった。自分の親友は、ドラマの中のヴィンセント・チェイスだったんだ」

成熟した頭脳

Aonトレーニングコンプレックスでエリック・バイリーの誕生日を祝った際、24歳の誕生日なのに30歳のような行動を取るため、30歳の誕生日を祝うかのようなバースデーケーキが用意されるジョークが見られた。この時について、バイリーはUnited Reviewでこう振り返っている。

「ドレッシングルームでからかわれていたんだ。それをスタッフとシェフがジョークにして、ケーキのデコレーションにしたんだよ。皆が笑ってくれるようなギフトをもらえるのは嬉しいね。でも、僕は24歳で、30歳ではないからね!」

これと同様のことは、同じポジションのリンデロフにも言える。

「いつかは30歳のような行動を取るさ。でも、面白いね。僕は多くの試練を乗り越えるのに、早く成熟する必要があったんだ」

アイスマン

 イングランド人はPKを恐れるかもしれないが、冷静な彼は違う。U-21欧��選手権優勝を決めたPKを放った時、彼は全く気後れしなかった。

「チームメートの顔を見たら、もう勝ったと思い込んでしまった。僕たちは全員落ち着いていたからね。1本目を決めて、相手も決めて、それからチームが決めて、相手が外した。5人目が自分で、とにかく興奮していた。とにかく夢中で、目がギラギラしていたと思う。スポットに向かった際、ポルトガル代表の中に『アイツ外すよ』と言った選手がいて、それでさらに燃えたね。真ん中の低めにシュートを決めて、ゴールを奪ったよ!」

「それでポルトガルが外して、僕たちは歓喜した。スウェーデンがU-21欧州選手権で優勝したんだ!」

ロシア大会でも、ユナイテッドの選手が彼と同様に緊張せずにプレーすることを願おう!

欧州選手権でのPK? まったく問題なし。