トミー

トミー・ドハーティー氏が逝去

マンチェスター・ユナイテッドの元監督トミー・ドハーティー氏が、92歳でこの世を去った。

“The Doc”の愛称で親しまれたドハーティー氏は、ユナイテッドの歴史に欠くことのできない存在だ。彼が指揮をとった70年代のレッズを見ていたファンにとって、彼はカリスマ的存在だった。この間ユナイテッドは、2部からトップリーグへの昇格を果たした。

彼は降格を喫したクラブにプライドと尊厳を復活させただけでなく、マンチェスター・ユナイテッドを、50年代から60年代にかけてマット・バスビーが率いていたような、見ていてワクワクする、勇敢でエンターテイメント性のあるクラブへと蘇らせた。また、功績だけでなく、彼の英雄的な人柄も人々の心の中に焼きついている。

最盛期は1977年5月。FAカップ決勝でリヴァプールを2-1で破り、バスビー後の世代で初めて、メジャートロフィーを勝ち取った瞬間だ。

FAカップのトロフィーを頭に乗せて、ウェンブリー・スタジアムのピッチで喜びの舞を踊ったのが、彼の監督としての最後のアクションだった。ピッチ外の出来事が彼の栄光に影を指し、翌シーズンには、ディーン・セクストンが後任に起用された。

しかしそれまでに彼の偉業は十分に達成されていたといえる。

ドハーティーが着任したのは1972年12月30日。クリスタル・パレスに5-0という屈辱の大敗を喫した後のことだった。スコットランド代表監督を辞して、トミーはオールド・トラッフォードに着任。彼に託された任務は、降格の危機から救うことだった。

1928年4月24日、スコットランドのグラズゴーに生まれたトーマス・ヘンダーソン・ドハーティーは、セルティックでフットボールを始め、現役キャリアの大半をプレストン・ノースエンドで送った。スコットランド代表としては、1955年、イングランドに7-2で大敗した試合でゴールを挙げている。

現役キャリアを終えたチェルシーでプレーイング・マネジャーを経て監督に就任。1967年まで指揮をとり、1964年にはリーグカップに優勝。その後ロザラム、QPR、アストン・ヴィラ、ポルトを経て、スコットランド代表監督となった。

ユナイテッドでは、イングランドでもっとも名高いクラブを2部降格から救うという、最も難しいミッションに挑み、見事成功したが、残念ながらその翌年の降格は避けられなかった。

1973年夏にボビー・チャールトンとデニス・ローが去り、ジョージ・ベストのプライベートな問題もドハーティーを悩ませた。ベストは1974年1月を最後に離脱。その4ヶ月後、欧州チャンピオンに君臨してから6年後に、ユナイテッドは2部降格の憂き目にあったのだった。

更迭されると思いきや、ドハーティーのもとにはバスビーからシャンペンが届いた。それは、励ましの印だった。

エネルギッシュなドハーティーのイメージを反映したような勢いのあるチームに生まれ変わったユナイテッドは、1年でトップリーグに復帰したのである。

トミー
1977年のFAカップ優勝を祝うトミー・ドハーティー

4-2-4の超攻撃的システムを用いたドハーティーのユナイテッドは、2部リーグ在籍ながら国内で最も見たいクラブと言われた。「守備的フットボールは退屈。観客はゴールが見たいんだ。だから我々はそれを提供する」がドハーティーの口癖だった。

昇格後も勢いは止まらず、リーグとカップのダブル優勝もなるか、と期待された1975-76シーズンはリーグ3位に終わったが、翌年はFAカップ優勝を実現した。

77年にユナイテッドを去ったあとも、ダービー・カウンティ、QPR、プレストン、ウルヴァーハンプトン・・ワンダラーズ、アルトリンチャム、そしてオーストラリアでも指揮をとり、1987-88シーズンを最後に監督業を退いた。

彼の功績、そして偉大な人間性が忘れられることはない。トミー・ドハーティーは、ユナイテッドサポーターの人生の中でも最高の思い出をくれたのだから。