「ユナイテッド行きは人生に一度のチャンス」
デイリー・ブリントがUTDポッドキャストの最新エピソードで、劇的だった2014年夏の出来事について明かしてくれた。
その夏、オランダ人DFは、その後ユナイテッドの監督となるルイ・ファン・ハールのもと、オランダ代表のワールドカップ準決勝進出に貢献。そして9月に、オールド・トラッフォードへ移籍した。
アヤックスからユナイテッドへの移籍は「一生に一度のチャンス」であったと、エレガントなプレーが売りのブリントは認める。しかし同時に、少年時代から過ごしたクラブを離れることへの感情もあったという。
さらにブリントは、ユナイテッドが自分に興味を示すまでは、特にプレミアリーグへの移籍は目標にしていなかったことも明かした。ヨーロッパの他のトップリーグの方が、自分のプレースタイルに合っているかもしれないと想像していたからだという。
デイリー・ブリント「僕からユナイテッドファンへのメッセージ」
podcastUTDポッドキャストにレッズの元DFデイリー・ブリントが登場。現在所属するバイエルンの本拠地であるミュンヘンで、ホスト役のヘレン・エヴァンス、サム・ホームウッド、デイヴィッド・メイとともに、さまざまな話題について語り合った。
「ワールドカップの後に始まったんだ」と、ポッドキャストのホスト、ヘレン・エヴァンス、サム・ホームウッド、デイヴィッド・メイに語ったブリント。「ワールドカップ2014...この大会が僕の人生を変えた」。
「その前の夏には2つのクラブが僕に興味を示していた。アトレティコ・マドリーだったと思う。何度か話をする機会もあったけれど、まだ本当に初期の段階だった。それに自分としてもアヤックスを去りたいというわけではなかった。あそこで本当に幸せだったからね。だから僕としては、アヤックスに長く留まりたいと考えていた。そしてあのワールドカップがあって、それが転機になった」。
「とにかくあのワールドカップは思い切りプレーして楽しんだ。ワールドカップの間は高いレベルでプレーができて、休暇で戻ってきた頃、ルイ・ファン・ハールがマンチェスター・ユナイテッドの指揮官に就任した後から、いろいろな話が飛び出した。僕とユナイテッドに関する噂はどんどん激しさを増して、僕らも「これは真実なのか、そうでないのか」みたいなことを自問自答していたような感じだった」。
ゴシップ欄には様々な憶測が飛び交い、友人でさえも旬なニュースを得るために彼にメッセージを送ってきていたと、ブリントは振り返る。
「マンチェスター・ユナイテッドからの噂もあったし、スペインからもあった。いくつかあったよ。僕自身は、契約を延長するかどうか悩んでいた。いろいろなことが起こっていたんだ」。
「なにかニュースが出ると、友達から携帯にメッセージが届く、という日もあったよ!「そこに行くのか?」って。僕は「知らないよ!」と答えるしかなくて。これだけ多くのクラブとリンクされるなんて異様な状況だからね。もちろん報道の中には正しい情報もあったけれど、僕はクラブ側からは何も聞いていなかったし、ルイ・ファン・ハールからも何も連絡はなかった。そのうち噂はどんどん大きくなって、代理人も『これは真実なのか、そうじゃないのか』と。真実なら話し合いをするし、そうでないなら、アヤックスに集中する。ともかく、前進しないとどうにもならないと」。
「ウィンドウ(移籍期間終了)の3日前だったと思う。電話がかかってきたんだ: 『我々は真剣に興味を持っている、君はどうしたいか? 』と。だから僕は、もちろん興味あります!と答えたよ」。
デイリーいわく、ユナイテッドからのアプローチがある前は、自分の素質により適している場所としてリーガ・エスパニョーラを視野に入れていたという。
「プレミアリーグは、自分のフィジカル面を考えたときに、リストの一番上にくるリーグじゃなかった」とブリントは述懐する。
「考えていたのはスペインで、太陽の下でフットボールをするのも気持ちいいだろうな、なんて思っていたんだ!ただ、正直いうと、その前の年にヤン・フェルトンゲンと(クリスティアン)エリクセンがトッテナムへ移籍して、多くの選手がビッグクラブに行くのを見て、僕の将来はどうなるのかな、と考えてはいたんだ」。
「僕にとっては、一生に一度のチャンスだったと思う。そしてその後、ウィンドウ終了までの3日間は、本当にあっという間だった。「これは現実なのか?」 という感じだったよ。 その時、アヤックスの監督、フランク・デ・ブールから電話があったと思う。『君に残ってほしいが、もちろん、私には君を引き止めることはできない。君は行きたいのか、行きたくないのか』と言われ、『はい、行きたいです』と答えたら、最終的にそれですべてがまとまった」。
ブリント「エリックに電話しようかと思った」
記事オランダ人DFは、1月にエリック・テン・ハフにコンタクトすることを考えたが、リサンドロ・マルティネスがすでに彼のポジションを埋めていると感じたという。
寂しい思いを胸にアムステルダムを後にしたブリントは、アヤックスの選手として多くのことを成し遂げたという自負にフォーカスしたという。
「妻が泣き出したのを覚えている。『アムステルダムですべてが整っているのよ!家を買ったばかりだし、生活もここで落ち着いているし!』って。僕は『うん、大丈夫だよ。うまくいくから』と」。
「そして、翌日には飛び立ち、そこからは新たな冒険の始まりだった。でもそれと同時に、自分が成し遂げたことを本当に、本当に誇りに思った。年間最優秀選手に選ばれ、4つのトロフィーを勝ち取った」。
「だから、クラブを去るのに悪いタイミングではなかった。正面のドアからクラブを去ることができた、という思いだ。それは僕がとても誇りに思えることだよ」。