ジャック
ローリー
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出場回数424
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総ゴール211
左足から放たれる強烈なシュートにより“ガナー”(射撃手)と呼ばれたジャック・ローリーは、マット・バスビー監督の指導が実を結んだ戦後のユナイテッドで、チームに栄光をもたらした。
全盛期には、同じくゴールを量産した弟のアーサーとともに、空中戦にも足技にもすぐれた、イングランドを代表するストライカーの1人として活躍した。 ローリーは、生まれ故郷のクラブのウォルヴァーハンプトン・ワンダラーズとボーンマス&ボスコム・アスレティックでプレーしたあと(ボーンマスでは11試合で10ゴールを決めた)、1937年に3000ポンドで ユナイテッドに加入した。 ユナイテッドの最初のフルシーズンでは、チームをディビジョン2の2位に導き、31年以来となるトップリーグ昇格に貢献した。 第二次大戦中は公式のリーグ戦が中止になり、ローリーは南スタッフォードシャー連隊に従軍し、44年のノルマンディー上陸作戦に加わった。また、戦争中に行われたウルヴス、オルダーショット、ベルファスト・ディスティラリー、フォークストーン、シュルーズベリー・タウン、トッテナム・ホットスパーとの試合にも、ゲスト参加した。 46年にリーグが再開されると、ローリーは再びユナイテッドでプレーするようになった。48年のブラックプールとのFAカップ決勝では、前線の“フェイマス・ファイブ”の一員として活躍し、チームを4-2の勝利に導く2ゴールを決め、優勝に貢献した。 52年には、スコットランド人の小柄なベテラン選手ジミー・デラニーとコンビを組み、ローリーはリーグ戦で30ゴールを決め、ユナイテッドを1911年以来となるファースト・ディビジョンの優勝に導いた。 ユナイテッドで通算503試合に出場して312ゴールを決めたあと(イングランド代表でも6試合でプレーして6ゴールをマークした)、プリマス・アーガイルに選手兼任監督として移籍し、そ の2年後の57年に引退した。 その後、さまざまなクラブで監督や管理職を務めたあと、69年12月に指導者としての道を退き、オールドハムのショー地区で日用雑貨店を営んだ。
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