ミュンヘン

ミュンヘンの人々との間に築かれた絆

月曜日 06 2月 2023 11:33

ミュンヘンは、ユナイテッドがベオグラードから凱旋帰国する際の燃料補給地に過ぎないはずだった。しかし、ミュンヘン・リーム空港での悲劇的な出来事から60年が経っても、この街はレッズにとっては、悲劇の代名詞となっている。

ユナイテッドとレッドスター・ベオグラードが悲しみを分かち合ったことはよく知られているし、レアル・マドリッドやリヴァプールといったビッグクラブも様々な形で寛大な支援を行ってくれている。 

しかし、バイエルンもまた、ユナイテッドが長年続けている記念行事において、陰ながらかけがえのない同志であり続けてくれている。墜落事故後の数年間、バイエルンは資金集めのための親善試合の対戦相手となっただけでなく、今も続く追悼行事にも深く関わってくれているのだ。

マンチェスター広場に敬意を表するバイエルン幹部とユース選手たち

バイエルンの諮問委員会のメンバーで、ミュンヘン市の職員でもあったヘルマン・メンメル氏は、1990年代、この悲劇を今後も恒久的に語り継いでいくことをクラブに打診した。当時副会長だった元バイエルンFWのカール・ハインツ・ルンメニゲ氏は、すぐに承諾した。

 「それはバイエルンの義務であると思っています」と語ったメンメル氏は、後にこう振り返っている。「我々もユナイテッドとともに何かすべきだと思いました。当時、マーティン・エドワーズやデイヴィッド・ギル、サー・アレックスたちとも親交がありました。それで、墜落現場の近いここミュンヘンに、記念碑を作ることを話し合ったのです」。

「1958年に起こったことについて、その後の30年間はきちんとした形で受け止められていなかったと思います。しかしその30年が過ぎた後、私たちはマンチェスター・ユナイテッドやイギリスのファンたちとより親密になり、我々のクラブのファンも、マンチェスター・ユナイテッドのファンとより近しい間柄になったのです。私たちは常に友情と良好な関係を保っています」。

 「両クラブの、とくにその頃の哲学は、とても似ていたと思います。おもしろいことに、1999年にバイエルン・ミュンヘンは、チャンピオンズリーグ決勝でラスト2分間でユナイテッドに敗れるという、いわば大変にショックな経験をしたわけですが、両クラブの関係は、これを機に以前より親密になりました」。

ミュンヘン事故の歴史を学ぶユナイテッド・ウィメンの選手たち 動画

ミュンヘン事故の歴史を学ぶユナイテッド・ウィメンの選手たち

ミュンヘン航空事故から65年目を迎える月曜日を前に、女子チームのメンバーがこの悲しい出来事について学んだ。

2004年には、トゥルーダリングの墜落現場にマンチェスター広場が設置され、バイエルンはこの常設施設の建設に多大な資金的援助を行ってくれた。2015年には、アリアンツ・アレーナ内にあるバイエルンのクラブミュージアムで、サー・ボビー・チャールトンによる墜落事故の詳細を紹介する特別展示が行われるなど、ブンデスリーガで連覇を続ける彼らは、積極的にこの出来事についての認識を高めてくれている。

この災害の記念日には、ユナイテッドとバイエルン両クラブの代表者、そして両クラブのサポーターが集う。バイエルンのサポーターグループ、レッドドックからも毎年多くが参加し、マンチェスターで活動するサポーターによる英国の登録慈善団体『マンチェスター・ミュンヘン記念財団(MMMF)』も彼らと協力して、このイベントの運営に当たっている。

2日後にはバイエルン会長のヘルベルト・ハイナー氏も参加する65周年記念式典が予定されている。そして彼らのこのような誠意のこもった取り組みに、マンチェスターの人々も非常に感謝している。

バイエルンのクラブミュージアムには、1958年2月6日に起こった悲劇を記念したメモリアルが常設されている。

「バイエルン・ミュンヘンにはなにも義務などないのです」とMMMFのパット・バーンズ会長は強調する。「しかし彼らは本当に素晴らしい人たちで、この出来事を語り継ごうという我々の思いに多大な関心を寄せてくれているのです。彼らが我々のファンに示してくれる敬意や歓迎、そしてこの温かい関係性は本当に素晴らしいものです。彼らはいつも誰か大物を招いては、私たちのファンと話をしたり、サインをしたり、写真にポーズを取ったり、という時間を作ってくれています」。

「私たちにとってここは大切な場所ですが、私たちと同じように、あの日の出来事を決して忘れることなく、見守ってくれていることに感謝しています。彼らがクラブに示してくれる敬意と愛情は、比類のないものです。本当に特別な関係だと言えるでしょう」。

 「そして、彼らにも、我々からの温かさと愛情を感じてもらうことが大切だと思っています。我々も、ミュンヘンの子供たちを支援するチャリティをサポートしていて、バイエルンも感謝してくれています。これも我々が築いている関係性の一部です。バイエルンのファンのための募金活動も支援していますが、ともあれ、すべては彼らがいかに素晴らしい人たちであるかということに尽きます。感謝してもしきれません」。

両クラブは、ここ数年、協力して基金のための活動を続けている。

今年の記念行事には、約1,000人のユナイテッドサポーターに加え、オールド・トラッフォードからのクラブ代表団、バイエルンの代表者、ミュンヘン市長、レヒト・デア・イザール病院の理事長といった地元の多くの人々が、マンチェスター広場での式典に集まることが予定されている。

また、サー・マット・バスビーと彼の選手たちの手当てにあたったジョージ・マウラー教授の息子と、マウラー教授のもとで働いた看護師も出席する予定だ。また、現地では新たなメモリアル展示の除幕式に続いて、追悼礼拝が行われる予定となっている。

 「私たちにとって、ここはとても特別な巡礼地です」。とバーン氏は語る。「ユナイテッド・ファンには、一生に一度でも行けるなら行った方がいいと言いたい。というのも、これは本当にスピリチュアルな体験だからです。私たちは過度に感傷的になったりドラマチックになったりするつもりはありません。ただみなさんに、大切な思い出を与えたいと感じているのです」。

「ここは、飛行機が墜落した場所に作られた、木製の記念碑から100ヤードほど離れたところにあります。バイエルンが提供してくれたこの素晴らしい広場、メモリアル・ショーケースは、ユナイテッド・サポーターにとってとても意義のあるものです」。

1999年のチャンピオンズリーグ決勝は、両クラブの歴史と尊敬の念をさらに深く共有するものとなった。

ルンメニゲ氏も、このモニュメントが公開されて以来、何度もマンチェスター広場の独特の雰囲気を味わってきたという。

 「記念碑がオープンしたときのことをよく覚えています。マン・ユナイテッドのサポーター、とりわけ年配の方にお会いしたときは、とても感動しました。私はスピーチをし、ミュンヘン市長もスピーチをしましたが、マンチェスターだけでなく、ミュンヘンでも、ここで起こったことを人々が今も記憶にとどめ、ともに生きていることを実感しました」。

 「20人以上の人が亡くなり、ミュンヘンの街にとって大きな災害となりました。この悲劇は、この街の人々にとって大きなショックだったと聞いています。事故当時、私はまだとても幼く(2歳)、その頃はミュンヘンに住んでいませんでした。当時はまだ第二次世界大戦による両国間の関係がぎくしゃくしていましたが、この悲惨な事故の経過の中で、ドイツとイギリスは再び距離を縮めたように感じます。多くのドイツ人、多くのドイツ人医師が、犠牲者や生存者を助けるために尽力し、それがイギリスの人々にも伝わったのです」

「この悪夢をいまでも身近に感じている人々を見るにつけ、この式典がいかに皆にとって非常に感動的な場であることかがわかります。ミュンヘンでのこの惨事を忘れる人はいないでしょう」。

 「そしてマンチェスター・ユナイテッド���人々もまた、この暗黒のような出来事の中で、一筋さした光のような、バイエルン・ミュンヘンからのサポートを、覚えていてくださっていることでしょう」。

 

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