「僕は毎日、自分の可能性を追求している」
マンチェスターは僕の故郷で、僕はそこで、家族や友人たちに囲まれて育った。ここは美しい街で、とても幸せに暮らしている。
父さんは、僕のストーリーを語る上での重要人物だ。僕が幼い頃、父さんが僕にフットボールを教えてくれた。それからは、学校でも昼休みに友達とフットボールをやっていたし、ユナイテッドのアカデミーでもプレーしていた。
母さんが仕事のときは、父さんが僕の面倒をみてくれていた。僕を家に一人で置いておくわけにはいかないから、父さんは僕を一緒に連れていってくれて、それで僕はよく、父さんがプレーするのを見ていた。試合が始まる前には、ゴールに入ってキーパーのまねごとをしたりもしていた。そのあと1時間くらい試合を見るんだ。とにかくフットボールが好きでたまらなかった。
それくらいの年の頃は、何も考えていないものだ。僕がシュートを打つと、キーパーはゴールを決めさせてくれていた。僕が子供だったから、キーパーがわざとそうしてくれていたなんてその頃は知らなかった。だから僕は素直に喜んでいた。とても楽しかったな。
小学校では、毎日昼休みにフットボールをしていた。それから学校のチームでもプレーしていた。セント・マーガレットとウィリアム・ハルムでは優勝した。
トロフィーを獲ったときのことはよく覚えている。ランチの時、スクールチームだけに特別なテーブルが用意されていた。テーブルの上にはビスケットやチョコレートが並べられていて、学校のためにトロフィーを獲得した僕たちだけがそこに座ることができた。食堂の一番前に座ったんだ。あれは誇らしかったな。
別の学校に行っていたチャーリー・サヴェージと対戦したこともあるよ。彼らには決勝で玉砕した。スコアはたしか、5-1くらいだったと思う。とにかく、僕は学生時代はずっとフットボールをやっていた。チャーリーはアカデミーでも一緒だったから、ユナイテッドで会うと「次はおまえたちに勝つ」「おまえのチームは俺たちにコテンパンにされる」ってって感じで、お互いに言い合っていたよ(笑)。
昔はただ楽しいからプレーしていたけれど、6年生の時もトロフィーを獲って、僕は真剣にフットボールに取り組んだ。その時はもうユナイテッドでもプレーしていたから、いつも真剣に取り組んではいたけれど、同じくらい楽しんでもいた。僕が思うに、フットボールは最高のスポーツだ。真剣にやるけど楽しい。楽しいから、ハードワークも苦にならないんだ。
若い頃は、ドリブルで相手と勝負したりとか、ユナイテッドでボールを使った練習をたくさんやっていた。それから、昔は"ナンバーズ"というのをよくやった。「1番!」という声がかかると、僕らはみなそれが何のことかわかっていて、特定のスキルやボール操作をやるんだ。「2番」はまた違ったタイプのボールスキル。父さんとも一緒にたくさん練習したし、フットサルもやった。マンチェスターのフットサルにも通っていたことがあったんだけど、あれはとても役に立った。父さん、それからもちろんユナイテッドには、本当にたくさん助けてもらったよ。それらすべてが合わさって今の僕があるんだ。
昔は火曜と木曜に練習して、土曜か日曜に試合があった。フットサルは毎週月曜日の夜だったから、練習に行くことができた。フットサルは4対4で、常に相手と1対1の状態で、ボールを操り、ボールを動かし、相手を倒す。フットサルで学んだことは、ものすごくフットボールにも生かされているし、多くのことが役に立っている。マンチェスターのフットサルの監督からウルブズのマックス・キルマンの名前を聞いた。彼はフットサル出身の大物選手だ。
ボールはフットボールよりも小さくて、それほど弾まない。ネットも小さい。とてもテクニカルで、キーパーも出てきて、5対4を作られることもある。フットサルはピッチが狭いから、隠れる場所もない。だから勇気を出して、相手に向かっていくことが必要なんだ。
クリフ(マンチェスター・ユナイテッドのトレーニンググラウンド)は素晴らしかった。自分が契約した日のことは、昨日のことのように覚えている。毎週日曜日に、チャンピオンズリーグのアンセムに合わせて、ユニフォームを着てピッチに出て行った、あの経験は良い思い出だ。ブラジルとポルトガルのユニがあって、コーチがチーム分けを決めるんだ。みんな代表チームのユニフォームを着て、チャンピオンズリーグのアンセムに合わせてピッチに歩み出る。総当たり戦で、勝った方が次のセッションまでの1週間、自慢できる権利を得るんだ。次の日曜日も同じことの繰り返しだけれど、チーム分けは変わる。チャンピオンズリーグのアンセムに合わせて登場する僕たちを、親たちが見ているんだ。あれはすごかった。
チャーリー・ウェレンズとウィル・フィッシュとは同じ世代のグループで育った。リース・ベネットは1年下で、彼もユナイテッドで育ってきた選手だ。チャーリー・マクニールは、シティーの前にはユナイテッドにいて、またユナイテッドに戻ってきた。キャリアの中でプレーしてきた選手たちと一緒に成長する、というのは素晴らしいことだ。一緒にいるだけで、始めた時から、自分がどれだけ成長したのかを実感できる。
僕は昔は下の世代のグループと一緒にプレーしていたんだけれど、それは精神的にとても助けになった。僕は小さい頃から小柄で、当時はガリガリだった。しかも成長するにつれてさらに痩せていった。それは辛いことだった。相手の選手に押されながらボールを奪うには、スキルを駆使したり、頭を使う必要があった。ユナイテッドが1年下のチームでプレーさせてくれたことは助けになった。でも父からこの話を聞いたときは、車の中で動揺したのを覚えているよ。「これは、僕がクビになるってことを知らせるためのやり方なの?」ってね。今から思えば、僕だけじゃなく、家族も本当によく協力してくれた。今は過去を振り返ることなく、自分を高めて道を切り開いていきたい思っている。
監督からは、アンヘル・ゴメスのことを聞いた。彼はリールでチャンピオンズリーグに出場した。それからポール・スコールズも。彼らは年下の世代と一緒にプレーして、成功した。もちろん、同じ状況で、望むようなキャリアにならなかった選手もいた。でも、スコールズやアンヘルのような選手たちを見て、自分次第でこの状況を良いものにできると思った。ポジティブにとらえることにしたんだ。成長するためであって、実際、それはとて���助けになった。
僕にとってこれは、夢の実現だ。アカデミーを経て、トップチームと毎日一緒に練習できるなんてね。僕は今も一生懸命がんばっている。自分をより向上させるために、そして素晴らしい選手たちから学んで、自分のキャリアで到達できると思うポテンシャルに到達するために、プッシュし続けている。願わくば、僕が子供の頃から見て育ち、そしてアカデミーで育ててもらったユナイテッドというクラブでキャリアを開花させたい。
キャリアは人それぞれだ。誰にでも浮き沈みはある。けれどその浮き沈みをどう跳ね返していくかが重要だ。上がるときもあれば、いずれは下がる。だからその瞬間を楽しむことだ。これまで自分がやってきたことを思い返すと、辛かった頃も思い出すけれど、今はそれを笑顔で振り返ることができる。
僕は夢を生きている。そしてそれは自分だけでなく、家族にとっての夢でもある。いつも練習のとき送り迎えしてくれたのも家族だ。去年デビューして、プレシーズンツアーに参加して、ユニフォームを着て、ファーストチームの一員になっている。
自分のためだけでなく、家族や友人たちのためにも、僕は誇らしい。とても誇りに思う。