レイ・ウィルキンス

レイ・ウィルキンス氏を偲んで

水曜日 04 4月 2018 15:22

かつてマンチェスター・ユナイテッド、そしてイングランド代表で活躍したレイ・ウィルキンス氏が61歳でこの世を去った。この悲報に、ユナイテッドは深い悲しみに包まれている。

クラブのすべての関係者は、ウィルキンスのご家族に深い哀悼の意を表している。

彼がオールド・トラッフォードで過ごした5年間は、彼のここでの活躍を知る人々の心の中にいつまでも残り続けることだろう。レイ・”バッチ”・ウィルキンスは、華麗なスキルとフットボール頭脳を擁した完成されたミッドフィールダーだった。プレーしたすべてのクラブに大きな影響を与えたが、とりわけマンチェスター・ユナイテッドとチェルシーでは多大な業績を残した。そして、スリーライオンズのシャツを身につけてプレーしたイングランド代表の一員としても、彼は高く評価されている。

レイモンド・コリン・ウィルキンスは、1956年9月14日、西ロンドンのヒリントンで生まれた。父のジョージもプロのフットボール選手で、レイモンドの3人の兄弟、グラハム、ディーン、スティーブンも、父の足跡に続いた。ウィルキンス家に受け継がれたフットボーラーの才能は、その後すぐに知られることとなった。

1979年にユナイテッドと契約したレイ

レイモンドは少年時代からフル代表まで、あらゆるクラスでイングランド代表に選出され、代表キャップは84を数えた。

名を挙げたのはチェルシー時代。179試合に出場して30得点をマークした。1979年夏、ウィルキンスはブルーのチェルシーからユナイテッドの赤へと姿を変えた。当時の移籍金は85000ポンド。そこでウィルキンスは、ふたたびかつての師であるデイヴ・セクストンと再会することになった。

完成されたミッドフィールダーとして評価を得ていたウィルキンスは、オールド・トラッフ��ードで大いに歓迎された。当時はユナイテッドがその後の黄金時代に向けての一歩を踏み出した頃だった。

ウィルキンスが加わったチームは、中盤にクオリティとインテリジェンスが加味された。その崇高なパス技術や、一瞬の隙を見つける才は、誰にも真似のできないものだった。

ユナイテッドでのウィルキンスのハイライトは1983年FAカップ決勝、ウェンブリー・スタジアムでのブライトン戦だろう。74分、ウィルキンスがオランダの雄アーノルド・マーレンからパスを受け取った時、スコアは1-1のドローだった。ウィルキンスが約27mの距離から長い弓なりのロングシュートを蹴ると、ボールはゴールのトップコーナーに収まった。

これが決勝点となってレッズがFAカップを手にしたかと思われたが、その後ブライトンのギャリー・スティーブンスが同点に返した。しかしウィルキンスとチームメイトたちは、数日後に行われた再試合で4-0で快勝し、しっかりと優勝メダルを手にいれたのだった。

その3ヶ月後、ユナイテッドはふたたびウェンブリー・スタジアムに立っていた。FAチャリティーシールドでのリヴァプール戦だった。ウィルキンス擁するレッズはこの試合でも2-0で勝利を祝った。

ウィルキンスはユナイテッドで194試合に出場(うち途中出場3回)、10ゴールをマークした後、1986年、ACミランへと巣立った。その後パリ・サンジェルマンやレンジャース、クイーンズ・パーク・レンジャース、ヒベルニアン等、数々のクラブに足跡を残した。

その後は指導者に転向し、数々のクラブでそのあふれる知識と経験を注いだ。

レイ・ウィルキンスは真のトッププレーヤーであり、誰からも好かれた素晴らしい人物として、永遠に記憶されることだろう。