マルコス・ロホは、対峙した相手が神経をすり減らすタイプのDFで、激しいタックルを主体とするスタイルは、世界中のユナイテッドサポーターから支持されている。
エステュディオンテ、スパルタク・モスクワ、スポルティング・リスボンを経て2014年夏、ユナイテッドに入団したロホは、フアン・セバスチャン・ベーロン、ガブリエル・エインセ、カルロス・テベスに続くクラブ史で4人目のアルゼンチン人選手となった。
ユナイテッドでの1年目は負傷に苦しめられた。ケンブリッジとのFAカップ戦でゴールを決めたものの、マンチェスターダービーでは肩を脱臼した影響もあり、カップ戦を含め26試合の出場にとどまった。
翌シーズンも1年目と同様に肩の負傷で出遅れたが、それでも前年より多い28試合に出場。ウェンブリー・スタジアムで行なわれたクリスタル・パレスとのFAカップ決勝にも出場し、優勝に貢献した。
2015-16シーズン終了後、ロホはアルゼンチン代表として、アメリカで開催されたコパアメリカに出場。決勝まで勝ち進んだが、2015年大会と同様、チリとのPK戦に敗れ、再び涙をのんだ。
アルゼンチン代表では2014年に開催されたワールドカップ・ブラジル大会にも出場し、累積警告により出場停止となった準々決勝以外の6試合に出場して決勝進出に貢献した。
アルゼンチン代表初ゴールは、ナイジェリアとのグループステージ戦(3-2でアルゼンチンが勝利)。ロホのパフォーマンスは、分析システム”カストロール・インデックス”も10点満点中9.5点をつけ、大会ベストイレブンに選出したほどだった。
その大会でアルゼンチンの指揮を執ったアレッサンドロ・サベーラ監督は、エストゥディアンテス時代にロホを指導した経験があり、2009年には2人揃ってコパ・リベルタドーレス優勝という結果を残している。
ロホはその翌シーズンの前半戦終了後にモスクワのスパルタクへ移籍。ヨーロッパでのキャリアをスタートさせた。ネマニャ・ヴィディッチの古巣でもあるチームで念願の欧州進出を果たしたロホだったが、なかなか思うような結果を残せず、苦しい1年となった。しかし、アルゼンチン代表には継続して招集され。コパ・アメリカではその期待に応える活躍を見せた。
2012年夏に350万ポンドの移籍金でスポルティング・リスボンへ移籍。すぐさまポルトガルリーグに順応すると、2013-14シーズンには更なる成長を遂げ、スポルティング・リスボンを優勝したベンフィカに次いで2位に導く活躍を見せた。
アルゼンチン代表では主に左SBとしてプレーしているロホだが、スポルティング・リスボンではCBとして起用されてきたため、当時ユナイテッドが導入した3-5-2システムの3バックに適していると言われた。
ユナイテッド入団時の会見で、本人は次のように語っている。
「ユナイテッドでプレー出来ると言えるなんて、非常に名誉なこと。プレミアリーグは世界で最もエキサイティングなリーグで、世界最大のクラブでプレー出来るのは自分の夢でもあった。自分は若いし、まだまだ学ぶ意欲に溢れているので、ルイ・ファン・ハール監督のような経験豊富で、戦術眼に長けた監督の下でプレー出来るのは素晴らしい機会になる。ユナイテッドに移籍したのは、チームメートとハードワークを実践して、タイトルを勝ち取るため。監督も同じ野心を選手と共有していると理解している」。
名字であるロホとは、スペイン語で”Red”を意味する。ロホが、赤いシャツに袖を通して活躍する姿を多くのファンが歓迎している。
そして太ももに刻んだ『Pride(プライド)』、『Glory(栄光)』の文字は、マッチアップするストライカーたちに向けた、一歩も引かない彼の屈強な精神を象徴するメッセージだ。
2016-17シーズンはユナイテッドでの3年間でベストとなった。その年の開幕時期にはセンターバックのポジションが確定していなかったが、チャンスを生かしてリーグ屈指の最終ラインと言われたバックラインを形成。
相手を怯ませるタックル、空中戦の強さを生かしリーグカップ、ヨーロッパリーグでは主力として活躍したが、シーズン終了まであと5週間の時点でヒザの靭帯を損傷して戦線離脱した。
これにより翌シーズンも欠場が続き、年明けに一時的に復帰したもののその後ふたたび負傷して、17-18シーズンは数試合に出場したにとどまった。
しかし夏にはアルゼンチン代表とともにW杯ロシア大会の地を踏んだ。