『ザ・キング』「ザ・ゴッド』あるいは、永遠に歳をとることのない『愛すべきオヤジ』……ムッシュ・カントナのことをどう呼ぼうとも、彼がオールド・トラッフォードで過ごした4年半は、レジェンドたる軌跡でしかない。
糊付けされたかのようにピンと真っ直ぐ立った背番号7のシャツの襟、傲慢にも見える堂々としたルックス、舞台セリフのような毒の効いた言い回し。エリック・カントナは、マンチェスター・ユナイテッドという劇場で演じるために生まれてきた。
フランスサッカー界の”アンファン・テリブル”(問題児)は、1991年にマルセイユでタイトルを獲得、さらに50近い代表キャップ数を刻みつつも、25歳で母国でのプレーから”リタイヤ”した。そしてシェフィールド・ウェンズデイのトライアルを受けていたところ、当時リーズ・ユナイテッドの監督をしていたハワード・ウィルキンソンの目にとまった。当時リーズは、91-92シーズンの優勝を狙ってチーム補強に励んでいた。しかして思惑通りにリーズは優勝、カントナは翌シーズンの幕を開けるチャリティシールドでリヴァプール相手にハットトリックを決めてみせた。
サー・アレックス・ファーガソンはすかさず彼の獲得に動き、12月、交渉は成立。120万ポンドという当時としては破格の移籍金でカントナはユナイテッドの一員に加わった。
そこからの4年半で、カントナはクラブ史にしっかりとその名を刻んだ。そして彼のハートと魂もそれに付随している。預言者のような発言や、フランス人気質、彼は20年前にジョージ・ベストが闊歩したそのグラウンドを、スピリチュアルな故郷であると感じていた。そして、長らく探していたジグソーパズルの最後の1ピースがやっと見つかったかのように、22試合で9ゴールをあげたカントナの活躍の甲斐もあって、ユナイテッドはプレミアシップ初年度の王者に輝いた。
カントナが所属したシーズンで、ユナイテッドがタイトルを逃したのはわずか1度だけ。そしてカントナ個人としても、この期間中2度の得点王、それ以外は2番目という成績を収めた。彼がゴールを量産したのはたんに技術力が優れていたからだけではなく、加えて、何か不思議な力を兼ね備えていた。
常に身を持って周囲に己を示し、挑戦し続け、決して諦めない。カントナは、フットボールとは選手とチームメイトとファンによる三重奏であると考えていた。
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