ライアン
ギグス
- 出場回数963
- 総ゴール168
ライアン・ギグスは現役を引退し、フットボールにおけるひとつのキャリアを終えたが、同日にユナイテッドのアシスタントコーチとしての新たなキャリアをスタートさせた。
2014年5月19日、最終戦を終えてからわずか2日後、ギグスは引退を表明した。その最終戦は暫定監督として指揮を執りながら、選手として途中出場するという一人二役を担っていたが、ギグスはこの試合を含む最終4試合を通じて、監督としての才能と1990年からユナイテッドで得てきた豊富な知識を披露し、2014-15シーズンからルイ・ファン・ハール新監督の元、アシスタントコーチとして働くことになった。 もし、ファン・ハール監督が昨年オールド・トラッフォードに来ていたら、ギグスは選手として選ばれていただろう。20年を超えるキャリアを通じ、スピード感溢れるサイドバックからパス能力に秀でたMFへと成長していったギグスは適応能力が非常に高いため、重宝されていただろう。 2013-14シーズンは最盛期のスピードこそなかったかも知れないが、頭脳は若手のライバル選手よりも優れており、クロスやアシストに関しては更に磨きがかかっていた。言ってしまえば、ギグスは驚異的な選手だった。そしてこれから長きに渡り敬意を持って語られ続けるだろう。 ギグスはまた、ユナイテッドの最多出場記録を保持している。2008年5月21日にモスクワで自身2度目のチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げた試合で758試合出場を果たし、ボビー・チャールトンの記録を更新した。また、プレミアリーグで毎シーズン得点しているただ1人の選手であり、2009年9月のトッテナム戦でFKを決め、その記録を更新した。 だが、アレックス・ファーガソン監督のスカウトがなかったら、現在のような栄光は手にしていなかったかもしれない。カーディフ生まれのギグスは10代初めの頃、マンチェスター・シティーのスクール・オブ・エクセレンスに所属していた。しかし、ファーガソン監督が14歳の誕生日に自宅を訪れた時、ギグスは幼い頃から憧れていたユナイテッドとの契約のチャンスに飛びついたのだった。 1990年11月にプロ契約を結ぶと、翌91年3月2日のオールド・トラッフォードでのエヴァートン戦で、デニス・アーウィンと交代出場し、旧ディヴィジョン1でデビューを飾った。1991-92シーズンには初の先発出場を果たし、マンチェスター・シティーを相手に初ゴールを決め(コリン・ヘンドリーに当たってのゴールだったが)、チームに1-0の勝利をもたらした。 レッドスター・ベオグラードを下して優勝した1991年11月のUEFAスーパーカップでは、71分にリー・マーティンに代わって出場。ユナイテッドで初のタイトルを獲得した。その5カ月後にはリーグカップ決勝でノッティンガム・フォレストを倒して2度目の栄冠を獲得。さらに1992-93シーズンにはプレミアリーグ初制覇を果たした。 1993-94シーズンと1995-96シーズンには、チームの2冠達成に貢献。さらに1998-99シーズンにはFAカップとプレミアリーグに加えてチャンピオンズリーグでも優勝し、3冠を達成した。このシーズンにはヴィラ・パークで行われたFAカップ準決勝再試合のアーセナル戦で決勝点を決めたが、これはユナイテッド史上最高のゴールの1つに数えられている。 2001-02シーズンにオールド・トラッフォードでの10年目をセルティックとの記念試合で祝った。その翌年には2-2で引き分けたチェルシー戦でキャリア通算100ゴールを決め、2007年3月に1-0の劇的な勝利を収めたリヴァプール戦では、ユナイテッド史上2人目の700試合出場を果たした。それから2カ月後、9度目のリーグ優勝を記録し、リヴァプールのレジェンド、フィル・ニールとアラン・ハンセンが保持していた8回というリーグ最多優勝記録を打ち破った。 クラブでは長期にわたって最高レベルのパフォーマンスを維持しているが、ウェールズ代表からは2007年6月に64試合で12ゴールという記録を残して引退した。同年12月には大英帝国勲章第4位(OBE)を受勲。また、4-0で勝利したダービー・カウンティー戦ではリーグ通算100ゴールを記録した。 ユナイテッドのファーストチームで18年目を迎えた2007-08シーズンは、リーグ優勝を決めた最終節のウィガン戦でチームの2点目を決め、チェルシーと対戦したチャンピオンズリーグ決勝のPK戦でも重要なシュートを決めた2008-09シーズンも実り多き1年となり、中盤の真ん中やストライカーのすぐ後ろのポジションで起用され、プレミアリーグ3連覇に貢献した(11度のリーグ優勝はもちろん史上最多である)。 2009-10シーズンは、本来のウイングのポジションでプレーすることが多く、ユナイテッドの選手の中でもかなり安定したパフォーマンスを披露していたが、2月のアストン・ヴィラ戦で右腕を骨折し、戦列を5週間離れてしまった。チャンピオンズリーグのビッグマッチやカーリングカップ決勝にも出られなかったが、3月下旬に復帰すると、チェルシーとのリーグ優勝争いで重要な役割を果たした。 結局、イングランドのサッカー史上初となるリーグ4連覇は逃してしまったものの、そのシーズンは36歳の誕生日を迎えた直後の11月30日にBBCの年間最優秀スポーツ・パーソナリティーに選出され、数週間後には、ユナイテッドとの契約を2010-11シーズン終了まで1年間延長した。 2013-14シーズンはギグス、そしてユナイテッドにとって新しい挑戦となった。 アレックス・ファーガソン監督の勇退により、ギグスはキャリア2人目となる監督、デイヴィッド・モイーズ監督の元で選手兼コーチとして働くことになり、最終的には22試合に出場した。更にモイーズ監督が去った後は暫定監督に任命され、ラスト4試合でチームを率いた。 また2013-14シーズンの終わりには生涯功労賞を受賞し、授賞式で流された映像では、ペレ、クリスチアーノ・ロナウド、アレッサンドロ・デル・ピエロなど錚々たるメンバーが祝辞を述べ、ギグスがフットボール界に輝く偉大な選手のひとりであることを改めて示すと共に、ギグスの素晴らしいキャリアとその才能に華が添えられた。
Midfielder
ウェールズ
1973年11月29日
1990年7月9日
1991年3月2日
vs エヴァートン(H)
2016年7月3日