その当時、ユナイテッドは上位リーグ昇格を狙っていた。その中で、ウォールのテクニック、狡猾さやゴールが2位以内を確実にし、昇格を保証することになった。彼のデビュー戦であるクラプトン・オリエント戦でのゴールは、ユナイテッドのファンに昇格を予感させるものだった。
1906-07シーズンは、ウォールが左ウイングのレギュラーを掴んだシーズンだった。1試合も欠場せず、終わってみればそのシーズンは11ゴールでチームの得点王となっていた。
その後、さらに成長し、ユナイテッドが初めて1部リーグで優勝したシーズンは2試合を除いた全
ての試合に出場し、特筆すべき19ゴールを挙げた。4-0で勝利したクイーンズ・パーク・レンジャースとの第1回のチャリティーシールド(現在のコミュニティーシールド)でもスコア・シートに名を連ねている。
翌シーズンは、リーグ戦では振るわなかったが、FAカップの優勝メダルを手に入れた。2度目のリーグ優勝を果たした1911年のシーズンにも活躍し、第一次世界大戦までの4シーズンをユナイテッドで過ごした。
戦後、ウォールはオールドハムと契約し、さらに4クラブを渡り歩き、1927年にマンチェスターに戻り、マンチェスター・シップ・カナルFCに所属した。